スタッフの定着、予約のキャンセル、自費診療の割合、在庫管理。日々の診療に加え、院長が向き合う経営課題は尽きません。「一つひとつに手を打っているのに、なかなか成果につながらない」と感じることもあるのではないでしょうか。
そんなとき、取り組むべき課題を見直すヒントになるのが、ビジネス書「イシューからはじめよ」です。本記事では、本書の考え方を紹介し、スタッフの早期離職を例に、医院経営で実践するための5つのステップに整理します。
「イシューからはじめよ」とは
「イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」」は、安宅和人氏が2010年に英治出版から刊行したビジネス書です。
著者の安宅氏は、経営コンサルティングと脳神経科学の研究に携わってきました。本書では、そうした経験をもとに、限られた時間で価値のある仕事をするための考え方を解説しています。
本書の中心にあるのは、次の考え方です。
問題を解き始める前に、
本当に答えを出すべき問いを見極める
本書では「イシュー」を、次の2つの条件を満たす問題としています。
- 2つ以上の立場の間で、決着がついていない問題
- 根本に関わる、または白黒がはっきりしていない問題
医院経営に置き換えるなら、単に「気になっていること」から一歩進めて、「答えによって、次に取る行動が変わる問い」を見つけることが大切です。
価値のある仕事は「イシュー度×解の質」で決まる
本書では、仕事の価値を2つの軸で考えます。
イシュー度その問題に、いま答えを出す必要がどれだけあるか
解の質その問題に、どれだけ明確に答えを出せているか
重要な問いを選び、その問いに明確な答えを出す。この両方を満たすことで、仕事の価値が高まります。
イシュー度×解の質。量をこなすより、先に「解くべき問題」を選ぶ
目の前の仕事を数多くこなせば、いつか大きな成果につながる。そう考えたくなることもあります。本書では、取り組む問題を見極めずに量をこなし、質を高めようとする進め方を「犬の道」と呼んでいます。いま答えを出す必要の薄い問題に時間をかけても、得られる成果は限られるためです。
日々気になる課題のすべてに、いま答えを出す必要があるとは限りません。まず取り組むべき問いを絞り、そこに時間と労力を使うことが大切です。
「悩む」と「考える」を区別する
本書では、「悩む」と「考える」を区別しています。医院での課題整理に引き寄せると、次のように捉えられます。
悩む
気がかりなことを繰り返し思い浮かべ、答えへの道筋が見えない状態
考える
答えを出すために、必要な情報と確かめる手順を整理すること
「どうしたらスタッフが辞めずに働き続けられるのだろう」と思い続けていても、それだけでは次の行動を決めにくいものです。「いつ、どのような理由で辞めているのか」「何を確かめれば対策を選べるのか」と問い直すことで、具体的に考え始められます。
よいイシューには3つの条件がある
本書では、よいイシューの条件として次の3つを挙げています。
本質的な選択肢である答えによって、次の打ち手が大きく変わる
深い仮説がある表面的な現象にとどまらず、背景にある構造や要因に踏み込んだ仮説がある
答えを出せるいまある手段で、答えを出すことができる
「スタッフが辞めるのをなんとかしたい」という願いだけでは、何を調べ、何を決めればよいかが曖昧です。たとえば「早期離職を減らすには、入職直後の教育・相談体制を優先して見直すべきか」と問いを具体化すると、確かめるべきことが見えてきます。
仮説を立て、必要な情報を集める
問いを具体化するときは、現時点でわかっていることをもとに、仮の答えである「仮説」を置きます。本書が重視するのは、仮説を起点に、何を確かめるべきかを考える進め方です。
- 仮説があると、集めるべき情報がはっきりする
- 仮説がないと、情報収集の範囲が広がり、判断しにくくなる
ただし、仮説は最初から正しいとは限りません。現場の声や実際の記録といった「一次情報」に触れ、仮説に合わない事実にも目を向けながら、必要に応じて見直します。
一度で完璧な答えを出そうとするよりも、仮説を立て、確かめ、見直す。この繰り返しが、判断の精度を高めます。
医院経営への活かし方:明日から使える5つのステップ
ここからは、本書の考え方をもとに、医院で実践しやすい手順をTenyi独自の5つのステップに整理します。「スタッフが定着しない」という悩みを例で考えてみましょう。
- 気になる課題を、事実で整理する
- 事実から仮説を立て、問いを具体化する
- 「いま解かない問題」を決める
- 一次情報で仮説を確かめる
- 完璧を目指さず、小さく試して見直す
ステップ1:気になる課題を、事実で整理する
まずは、気になっている課題を書き出します。そのうえで、印象と確認できている事実を分けて整理しましょう。
事実
この1年で3名が退職し、そのうち2名は入職して半年以内だった
期間や人数を添えると、何が起きているのかを共有しやすくなります。わからないことは無理に埋めず、「確認が必要なこと」として残しておきましょう。
ステップ2:事実から仮説を立て、問いを具体化する
次に、整理した事実から気になる点を探します。この例なら、「退職した3名のうち、なぜ2名は入職から半年以内だったのか」という点です。
背景にありそうな要因を考え、仮説にしてみましょう。たとえば、入職後の教育や相談体制に着目すると、次のように整理できます。
気になる点
退職者3名のうち2名が、入職から半年以内に辞めている
仮説
入職後の教育が担当者任せになり、質問や相談をしにくいことが、早期離職の一因ではないか
この仮説をもとに、「早期離職を減らすために、教育・相談体制の見直しを優先すべきか」と問いを置きます。給与や勤務時間など、ほかの要因も候補に残し、原因を決めつけないことが大切です。
ステップ3:「いま解かない問題」を決める
課題をすべて同時に解決しようとせず、次の観点から優先順位をつけます。まずは、答えを出したい問いを1つ選んでみましょう。
- 答えが出ると、医院の方針や次の行動が変わるか
- 今月、今期のうちに答えを出す必要があるか
- いまある手段で答えを出せるか
この例なら、まずは入職直後の教育・相談体制を確かめることに集中します。ほかの課題は、見直す時期を決めて保留にしましょう。いま取り組むことと、後で取り組むことを分けると、限られた時間を使いやすくなります。
ステップ4:一次情報で仮説を確かめる
選んだ問いに答えるために、現場の声と記録を確認します。
- 可能な範囲で、退職者や在籍スタッフに、入職後に困ったことや相談相手の有無を聞く
- 入職日と退職日を確認し、在籍期間ごとの傾向を整理する
- 教育マニュアルや引き継ぎ資料が、実際にどう使われているかを確認する
ネット記事やAIは、考えられる要因を広く洗い出す助けになります。ただし、自院で何が起きているかを判断するには、現場の声と記録が欠かせません。想定と異なる話が出てきたら、仮説を修正します。
ステップ5:完璧を目指さず、小さく試して見直す
確認した情報から、教育・相談体制の見直しが必要だと判断できたら、範囲を絞って改善を試します。たとえば、次のような取り組みです。
- 新人ごとに相談役の先輩を1名決め、不在時の相談先も共有する
- 1か月後に質問のしやすさや困りごとを聞き、3か月後に定着状況も含めて振り返る
最初から大がかりな仕組みをつくる必要はありません。何を試し、いつ、何を見て振り返るかを決めることが大切です。短期間の定着状況だけで効果を断定せず、新人や相談役の声も聞きながら改善を重ねましょう。
院内ミーティングで使える3つの問いかけ
こうした考え方は、スタッフとの話し合いにも活かせます。結論を急ぐ前に、次の3つを一緒に確認してみましょう。
- 「実際に起きていることと、そこから感じたことを分けてみましょう」
- 「この問いに答えが出ると、どんな行動を選べそうですか?」
- 「いつまでに答えを出す必要がありそうですか?」
スタッフの感じ方も、課題に気づくための大切な手がかりです。その声を受け止めたうえで事実を確認すると、何に取り組むべきかを話し合いやすくなります。
まとめ
院長のもとには、日々さまざまな課題が持ち込まれます。すべてに同じだけ時間と労力をかけるのは難しいからこそ、何から取り組むかを見極めることが大切です。
「イシューからはじめよ」が教えてくれるのは、「力を注ぐ前に、答えを出すべき問いを選ぶ」という考え方です。事実を整理し、仮説を立て、現場の情報で確かめる。その積み重ねが、医院に合った改善策を選ぶ助けになります。
まずは今週、気になっている課題を1つ選び、「確認できている事実」と「まだわからないこと」を書き出してみませんか。
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参考文献
安宅和人「イシューからはじめよ[改訂版]― 知的生産の「シンプルな本質」」英治出版、2024年(出版社の書籍紹介)